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お見舞い申し上げます。

 東日本太平洋沖地震被災者の皆様へお見舞申し上げます。
 私(神奈川東部在住)は無事でおります。一度目の地震の際は家で体調を崩して眠っていたころに発生。本棚から物は落ちませんでしたが、机の下にもぐりこんだときに、おでこをしたたかに打ちました。膝に青たんがいくつかありますが、怪我はそれくらいです。体調の方も持病なので、なんとか持ち直しました。…というか持ち直さずにはいられない状況でした。
 実家からすぐ近くで、祖父母が店を経営しています。実家とはちがい耐震補強もされていない古い店です。発生後、数分放心状態に陥っていた私ですが、鍵と携帯だけもって、すぐに家を飛び出しました。
 停電した真っ暗な店で商品や棚がなぎ倒されているのを見た時、血の気が下がりました。すぐに店の中に入りましたところ、祖父は元気で、気丈な顔を見せてくれました。祖母は習字教室にいっていて、その時連絡はとれなかったけれど、そばにしっかりした方々がいるので無事だろうとひとまず安心して実家に戻りました。
 実家の駐車場の前に近所のおばさま、おじさま、高齢者の方がぞくぞくと集まっていました。みなさま一様に不安がっていましたが、救急車を呼ぶほどの怪我や病気の方もおらずひとまず安堵いたしました。近くに小学校があるのですが、みな怪我はないようで、それも安心。隣の小学生の子は妹のように思っているので、「怪我ないよ! いまは3分前に地震くるのわかるんだから、すぐ逃げられるんだよ!」とドヤ顔された時はほんとうに脱力しました。
 子どもの笑顔って本当に癒されますね。明るい気分になれます。
 夜は電気が死んでいて、蝋燭しかない暗がりのなか、寒さに震えてこれからどうなるんだろうと怯えました。いまでも夜はちょっと怖いです。けれど輪番停電や節電には積極的な姿勢をもってのぞんでいます。
 被災地にいる友人の安否は全員確認できました。私の知っている子は皆無事でいてくれているようです。大学開始が延期になったことで、春に全員と顔を合わせられたらと願わずには居られません。
 先日まで私も兄のいる関西へ疎開したらいいのではないかと家族に勧められていました。二十歳もすぎているのだし身の振り方ぐらい自分で定めなければと考えた結果、関東に残ることにしました。
 なによりも、家族を置いてはいけないし、大学始まるまで関東で友達を待っていたいというわがままな願いからです。
 そんななか、土木工学士の兄が、茨城にいって復興援助をすることが今日決定しました。道路を再興する工事に携わるようです。東日本の復興に、実兄が関わることができるというのは誇らしいことですが、不安でもあります。が、笑顔で見送りたいと思います。兄の仕事が誰かの希望につながるのですから。
 私はこの関東で、拙いながらに自分のできることを見つけていきたいと思います。
 
 日本全体で被災地へ心を寄せ、協力しあい、再興への道を歩むことができるよう、国民の一人として努力するつもりです。

 平成23年 3月19日 はると@神奈川東部
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プロフィール

HN:
はると
性別:
非公開
自己紹介:
生まれは東路よりももっと手前(どこだよ)
関東在住。弥生末日生。
古代の日本と新撰組をこよなく愛し、
和が薫ろうものなら大和魂で貧血ダッシュ。
武士道でならなんでも乗り切れる!
だけど年中金欠には凹んでます。

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